風見篤史のブログ


by akazami
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”韓国映画”に目覚める

本日は友人Kに強引に勧められて「スカイプ」デビュー。ファイル交換ソフトをを使ったIP電話らしくスカイプ同士なら通話料が無料らしい。マイクとイヤホンがないので通話はできなかったが、チャットを試してみとこれがなかなか面白い。途中から知り合いの女性も加わり3人で楽しく会話。電話代節約にもなるし、悪くないかも。

その後24時くらいから村上龍がRVRで対談していたクァク・キョンテク 監督の『友へ/チング』をDVDで。韓国で800万人動員した大ヒット作らしいので心して観る。これがまた”素晴らしい”!
70年代から90年代前半にかけての激動の時代を背景に、4人の男の壮絶な人生と友情を見事に描いているのだけれど、ものすごく”完成度”が高い。2本位しか撮っていない監督がなんでこんなに人間を上手に描けるんだろう?と不思議に思うくらいすごい。高校時代の4人が映画館まで競争する場面は超広角レンズを使ったスピード感溢れる映像で”青春”というものを体感させてくれる(映画館の中のケンカのシーンも圧倒的な迫力)。
映画はヤクザの世界で対立する勢力に分れてしまった2人の悲劇的な運命に焦点が絞られていく。お互いを憎み合っているわけでもないのに、”時代”や”状況”が互いを殺しの標的にしなければいけないようにもっていってしまう皮肉な流れはとても痛々しい。いかにも「運命に翻弄される」のだ。クライマックスでジュンソクが”友情”よりも”義理”を選んでドンス殺してしまう結末は(ジュンソクが殺したとは明確に描かれていないで、その判断は観客に委ねられている)、なんとも言えない後味を残す。今の自分には「なんとも言えない・・・」、適当な言葉が見つからないのだ。結末を明確に提示しないという表現はとても勇気のいる判断だと思う。観るほうにとっては分かりやすく見せてくれたほうが当然楽だろうが、このように宙ぶらりんのまま終わらせられると「なんとも言えない」けど「とても悲しい」と感じるのではないか。この「なんとも言えない」感じが映画の奥行きを深くするのかもしれない。

脚本がよく出来ているのはもちろん、人間をリアルに描くその演出手腕もすごいのだが、特に素晴らしいのが主演のチャン・ドンゴンとユ・オソンの2人。役者について「何がいい」のかを言葉にするのは難しいが、とにかくいい!!映画の中でまさに”生きている”感じがそこから強く伝わってくる。もちろん演出もあるだろうが、その俳優が持っている資質が大きいと思う。こんな魅力的な俳優がバンバンいる韓国はすごい(ジュンソクのオジキ役の人もセリフはほとんどないがものすごい存在感を放っている)。

日本での韓流ブームの中(もう下火?)、僕に限っては『シュリ』と『サマリア』とこの『友へ/チング』の3本しか観たことがない。やばい、やばい、もっと観たいぞ。韓国得意の”純愛もの”も含めてもっと観たいぞ。


さっき冨永昌敬の『シャーリー・テンプル・ジャポン』観始めたが15分で我慢が出来ず止めた。ひどい。なんとなく才能がある人かと思ったけど全く勘違いだった・・・・。あーひどすぎるよ。気分が悪い。気を取り直してどんどん韓国映画を観よう。

c0107704_18484512.jpg【『友へ/チング』/クァク・キョンテク/2001年公開】
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by akazami | 2007-02-04 18:50 | 映画

”青山”という場所

今日は久しぶりに面接を二件はしごする。
モデル事務所のマネージャーとテレビスタッフ派遣の営業コーディネーター。どちらも感触としては悪くないが、たぶんダメだろう(ずっといい感触で落ちてきたし)。はー・・・。
会社の先輩に「フォトショップやイラレのスキルをつけて内勤の仕事をやれ、営業とかは体調的に無理だろ、1ヶ月でつぶれるぞ」と。・・・うーん、どれもピンとこないのが正直なところだ。

面接が南青山だったので、あたりをブラブラと。「スパイラル」で武蔵野美術大学工業デザインコースの卒制展をやっていたので見てみる。木材、ガラス、陶器など使った奇妙な作品が並んでいる。機能性や商品性を意識しているものもちらほらあったが全体的に”若い感性で心の赴くままにひたすらアートしている”。やっぱりこういうのは刺激的だしワクワクする。特に気入ったのが「透明感があって意味がわからない作品」。写真を撮れればここに保存できるのに残念。

青山はやっぱり歩いていて刺激的で気持ちがいい街だと実感。建築、デザイン、モデルプロダクションに関しては日本で一番最前線にいる街だろう。しかし、戦前の古い建築がどんどんなくなっているのはとても残念。老朽化もあるだろうけどせめて表参道ヒルズのように旧同潤会アパートの一角を残しておくような配慮がほしい(パリのような古い町並みがそのまま残されている場所は少ないのだろうか・・・)。
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by akazami | 2007-02-03 20:59 | 日々のこと
最近非常にものを考えるようになってきたが、「何かを考えたり」「何かを創りたい」と思った時にその時代性や社会、歴史についてよく考えなくてはいけないんじゃないかと思い始めている。では「今の時代はどんな時代なのか?」と自分に問う時に「まず自分が今まで生きてきた過去の時代を知らなければいけないだろう」と考えた。
じゃあ、どの時代か?それは当然「90年代だ」。75年生まれの僕にとって15歳から25歳を含んでいる90年代とは言わば”青春時代”だ(恥ずかしくなんかない)。それより前の80年代の記憶や感触は”ほとんどない”と言ってよい。強いて挙げるなら「ナメ猫」「ファミコン」「おニャン子クラブ」くらいか(子供だったから”バブル”なんてぜんぜん分からなかった)。
90年代を考えるといっても、今の自分には論理的思考というものが身に付いていないから、単なる思い出とか感想の域を出ないだろう。とりあえず思うのがメディアが言うように本当に
「失われた10年」なんだろうか?
自分にとってはどうだろう。

【政治と国際】55年体制の崩壊は大学受験の時だから、何かが変わるのかな?と思ったりしたが、他の若者と同様に政治的無関心の代表みたいなもんだから、ほとんど分からない・・・。国がどっちに向いていても知ったこっちゃないという感じ。世界の変化についても「東西ドイツの統一」「ソ連の崩壊」「湾岸戦争勃発」など歴史的なな変動が起こっているのに、全くリアルに感じていない。教科書で習ったソ連がなくなちゃったりドイツがくっついたしたのはなんとなく歴史って変わるんだなぁーと思った程度・・・。今考えるといかに社会に対して無関心だのかと顔を覆いたくなるし背筋が凍る思いだ。

【経済】高校卒業の時、「大学卒業の4年後には景気も回復してちょうどいいだろう」なんて考えていたら就職氷河期はますます深刻化していた・・・。「バブル崩壊」「不景気」「リストラ」「デフレ」などの悲しい言葉がずっと続いていた。日本経済的にはマイナスなことばかりの「失われた10年」なのだろう。しかし、自分の中で「不景気」を感じたのはたった3ヶ月間の就職活動の時だけだし、それとて就職などさして重要とは思っていたのでリアルに不景気を体感した感じは一度もない。そのうちに”映画監督”なって早くデビューしようと何の疑いもなくあっさりと「フリーター」という道を選んだ。才能を信じて疑わなかった。その後00年に入り、社会というシステムから排除され、最低のどん底に沈み込み、労働に恐怖し迷走していくとは想像すらしていない”バカで楽な時代”。今まさに社会の枠組みの中に加わりたい必死になっているが、「フリーター」、「ニート」、「精神疾患」というレッテルから脱出できないでいる。これも社会が生み出した結果の一つなのだろうか。「自立」はまだできていない。

【社会的事件】日本国内を一番下からひっくり返すような事件が続発したのもこの10年かもしれない。「阪神淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」がともに95年。その二年後に97年の「神戸連続児童殺傷事件」だ。大震災は信じがたいTVの映像を見ながら呆然としていた。夜中に暗がりの中神戸市内が赤く火に包まれている様子を見て朝にはどうなっているのか?これは日本で起こったことか?いったい何人死んだんだ?なんで高速道路が倒れるんだ?とテレビの前でパニックになっていた。でもやはりリアリティは感じていなかったと思う。その年に大学進学で大阪に移り住んだが、神戸在住の女の先輩に「へぇー被災者なんだ、すごいなぁー」なんて平気で言っていたのを覚えている。自分にしか興味がなく、相手が何を考えているかなんて少しも考えてなかった気がする。「死」に対しては他の人よりずっと敏感で、いつも「死ってなんだろう?」と思っていたのに・・・。今は簡単に「被災者なんだ」なんて絶対言えない。
他の事件、オウム酒鬼薔薇グリコ森永事件(80年代)などの社会的事件については重要だけどまったく考えがまとまっていないので改めて考えよう。

【音楽】なんといっても90年代はこの二つのグループ。「フリッパーズギター」(以下F.G)と「サニーディサービス」(以下S.S)だ。ジャンルでいうと”渋谷系”。F.Gを初めて聴いた16歳の時に、その後の人生の方向を決定したといっても過言ではない。テレビドラマ『ADブギ』の主題歌『恋とマシンガン』を聴いたが流れてきた瞬間「これだ!!!」と感じた。その頃高校の友達F.Gにを知っている者などおらず(茨城だからしょうがないか)、みんなBOφWYとか洋楽などを聴いていたので、黙って一人でずっとF.Gを聴いていた。新宿のレコード屋に『ヘッド博士の世界塔』発売!とF.Gコーナーを発見した時、”と、東京はす、すごい”と感心した。さらに大学受験の旅館で他の受験生が自分の知らないのF.Gの曲をごく当然という風に聴いているのを目の当たりにしてまた感動。絶対に芸大に入る!!と誓ったものだ。F.Gの魅力はメロディセンスや歌詞を含むその「軽さ」。コジャレていてとにかく聴いていてほんとに”気持ちがいい”。ポップというものをそのまま体現している感じで、自分の中で間違いなく”新しかった”。その後あらゆる芸術に対して「好きか」「そうでもないか」を感じる時に、この”気持ちがいいかどうか”という感覚が自分の中でベースになった気がする。自分の音楽をリードすると信じ始めていただけに、いきなりの「解散」は理解しがたかった。活動がたった2年か・・・。今でも音楽の基本はF.Gの中にある。
F.Gの衝撃的な解散の後、大学1年の僕の前に登場したのがS.Sだ。『若者たち』のしょぼくれたジャケットと”最後の渋谷系”というキャッチコピーに飛びついた。その曖昧でフォークな感じと手紙調の歌詞には正直「どこが渋谷系だよ、コジャレてないしキャッチィーじゃない」と一度聴いてずっとしまっていたが、ずっと気になっていた。そのうちまた聴き出しそのオシャレじゃないけど”退屈で曖昧だけどすごく優しい”感じがたまらなく好きになっていた。そんな時の彼らのセカンド『東京』は僕をとりこにする。その曖昧な若者のイメージがすごく”映像的”だった。だから何を作ればいいのかと迷っていた時に「サニーディのような映画をつくりたい」と素直に思えた。大学時代はずっとS.Sを聴いていたし、3本作った短編映画もS.Sの世界に影響されている。
S.Sの”何かやりたいのに、何をしていいのか分からない若者”というテーマはそのまま僕の映画のテーマになった。

その後渋谷系を基本に、JAZZ、ボサノヴァ、ビーチボーイズ、くるり、クラブ系・・・と、音楽の趣向は広がり変化していくが、常に”ポップで気持ちがいい音楽を”という姿勢はまったく変わっていない。

【文学】まず自分を文学の世界に初めて連れて行ってくれた作品が大学2年のときに読んだ村上春樹『ノルウェイの森』。その文章の透明感に憧れ”不完全な人間”のモラトリアムな感じに共感した。当然他の小説も読みたくなり『風の歌を聴け』から『ねじまき鳥クロニクル』とほとんどの著作を読破し、他の人と同じように”ハルキスト”になっていく。同時に好きになって読んでいたのが村上龍。『限りなく透明に近いブルー』で気持ち悪くなり、最初は嫌悪すらしていたが『コインロッカーベイビーズ』で開眼。圧倒的なストーリーの面白さと繰り返される”破壊”のイメージに心酔し、北野武なども含めて「人間の内なる暴力性」を常々考えるようになる。『愛と幻想のファシズム』や『五分後の世界』などに刺激を受けるが、村上春樹に比べて読むのに”パワー”がいるのでその多くの作品はまだ読めないでいる。本当に面白いと思えるようになったのは今現在(31歳)かもしれない。
この大作家二人とは別に好きになった新しい作家がこれまた二人。保坂和志阿部和重。阿部氏の『インディビジュアルプロジェクション』はその小説とは思えないキャッチーでオシャレな装丁に内容や作者など分からずにジャケ買い。激しく構築されたスパイ合戦のザラっとした感触と全く予想もつかない物語展開にびっくりする。スパイや武術のディティールが鮮明だし、映画のフィルムやプルトニウムを使ってどうしてこんなストーリーが思いつくんだろう?なんて考えつつ抜群に面白い内容に紛れもない”新しさ”を感じた。
それと今の日本の作家を知りたいと思い買った文藝別冊の『90年代"J"文学マップ』がポイントになった。W村上以前/以後で分けながら現代の作家を紹介していてそこに載っている気になった作家を読むようになる。この純文学の”J文学化”から若い小説家の本は明らかに装丁が写真などでかっこよくデザインされて、”ポップ”で”オシャレ”なものになった。ある意味部屋のインテリにもなりうるセンスで、まるでCDを買うように小説を買うようになった気がする。この本で大きく取り上げている作家の本を勇んで買っていたが(赤坂真理、中原昌也、藤沢周、町田康、鈴木清剛など)、どうも面白くないし刺激的でもないし気持ちよくもない・・・。やっぱりW村上だけかなんてと思っていた頃に出会ったのが保坂和志の『プレーンソング/草の上の朝食』。これがストーリーらしいストーリーなんてないのにめっぽう面白い。ほとんど4人か5人の登場人物がまともな仕事もせずに一軒家でうだうだしているだけの話なのに、読むのが止められない。どうしてなのかまったくわからないんだけど、とにかくみんなが幸せそうで気持ちがよさそうで嬉しくなる。そう、読んでる自分もすごく”気持ちがいい”のだ。こんな小説読んだことないし、ある意味新しいのかもしれない。”のんびり生きる良さ”という価値観にはじめて気づく。
それ以外では90年代の人ではないが、蓮實重彦の本で知った作家に中上健次がいる。『枯木灘』の凄まじさに驚嘆する。逃げられない”血”の運命をテーマにしているが、そこに人間が生きているということを実感する。このあたりから「必死に生きる」という自分の中での”人生のテーマ”らしきものを感じはじめたのだろう。

その他の90年代の記憶は、
野島伸司(シナリオ)、HIROMIX・左内正史(写真)、安藤忠雄(建築)、常盤響(デザイン)、松本大洋(漫画)などなど。

まあ時代を考える文章にしてはずいぶん貧弱になってしまった。やっぱり思い出再確認と感想の域を出なかったか・・・。まぁまぁしょうがないさね。
まだ90年代を総括するような書籍は出ていないので、発売されたばかりのSUTDIO VOICEの「90年代特集号」を参考にした。自分の感覚と意外とこの特集がリンクしている部分が多かったので随分参考になった(表紙が小山田君なのがすごくしっくりくる)。映画に関しては書かなかったし(書いたらそれこそ本一冊ななりそう)、カルチャー寄りの内容になったのはしかたない。90年代を総括して、その時代の特徴を考えて総論を導き出すというのは今の自分では無理なんだろう。でも90年代を振り返り自分の中でそれを把握し理解することは、今後生きていく上で重要な作業であることはまず間違いない。
実感として、この時代を必死に生きた自分はなかなか充実してたほうだろう(他の人はどう思っているのだろう?)。まさに「全速力で走り抜けた」感じがするし、納得している。少なくとも自分の中ではまったく「失われた10年」なんかではない。

佐々木敦は「90年代特集号」の冒頭で90年代を”定義”しているけど、まだ自分なりの”定義”はできない。この作業はこれからも続けていこう。何か自分で創りたいと思った時に必ず基本になるのは80年代でもなく00年代でもないこの「90年代」なんだから。

c0107704_5331457.jpg【『カメラトーク』/フリッパーズギター/90年】












c0107704_5354789.jpg【『東京』/サニーディサービス/97年】










c0107704_5383169.jpg【『ノルウェイの森』/村上春樹/87年】













c0107704_5403679.jpg【『コインロッカーベイビーズ』/村上龍/84年】













c0107704_5435714.jpg【『インディビジュアルプロジェクション』/阿部和重/97年】







c0107704_5462718.jpg【『草の上の朝食』/保坂和志/93年】








c0107704_5485142.jpg【『枯木灘』/中上健次/80年】













c0107704_5533514.jpg
【『生きている』/左内正史/97年】
  
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by akazami | 2007-02-02 06:04 | 時代